皆さん今日も現実という不味い飯にケチをつけながら常に腹を下すようなツマンネー人生送ってますか!! 現実を変えるのは難しい、人生そうそう楽しめるもんじゃないとはよく言ったもので、己のクソみたいな生活を変えるには何かとオカネだの時間だの労力だの技術だのがかかって大変です。やってらんないですね!! 俺が幸福になるにはまず世界が変わるべきだけどなんか世界変わってくれないというそんな貴方にオススメなのがそう、哲学です!! 哲学に必要なのは貴方の思考の柔軟性、これだけ!キッコーマン!たったこれだけで、貴方の抱えるストレスを撲殺しその経験値でもって現実世界にケンカを売っていけるようになっちゃうんです!お買い得ですね! という無駄な煽りはこれ位にして、哲学に興味があるけど上手く話しについていけない、哲学を楽しみたいけど本がおもしろくなってこない!とお困りの貴方のために、哲学書の楽しい読み方を伝授しましょう! なお、以下の方法は私の私による私によって評価された方法なので上手くいくかどうかは個人差がありますのでご了承ください。 哲学書を読んで哲学者と仲良くなろう!哲学の問題への取り組み方と言うのは様々あってこれが一番と言うものが特に決まっているわけじゃあないんですが(そこが哲学の寛容さであり魅力!)、ここでは哲学史とやらに名を残す偉大なる哲学者達の著作に触れて彼らと仲良くお友達になる方法を紹介します! 有名人と対話をするなんてことは現実だと早々ありませんが、哲学の中ではそれができるのです!思想、というのは創作物よりも発言者に近しいものがありますから、コツさえつかめば哲学書の向こうに哲学者達の生き生きとした姿を思い描くことができるんですよ! 自分の抱えている哲学っぽい問題はちっぽけで人に話すこともできないくらい恥ずかしいものだと思っている貴方も、逆に自分ほどの高尚な問題意識はその辺の無関心で頭空っぽな奴らには理解できないと凄絶なる孤独に浸っている貴方も、哲学書を通して哲学者と仲良くなり、自分以外の視点を手に入れて有意義なエア議論を交わしてみましょう! 読書と言うよりは解釈のススメかもしれません。ともあれ、大体びかてつのメイキングだと思ってお楽しみください。 対話によって理解していく楽しささて、貴方の前には一冊の小難しい哲学書と呼ばれる著作があります。ハイデガー、ニーチェ、デカルトなどなど。歴史に名前が残るくらいですから、相当中身が詰まっていることでしょう。あなたは小難しい言い回しや観念的な話に耐え本を読み終えてぼんやり思います。へえ、こんな考えもあるんだなあ。何が凄いんだか、よく分らないけど。おしまい! なんてもったいない!一冊の哲学書から、ひとつの思想から読み出せることは無限にあります!しかし、ただ語られたことを受け取るだけでは何も新しく生まれることはありません。無限の広がりは、「対話」によって得られるのです! たとえば貴方の友人が何かを楽しげに語っていたとします。貴方がただ何も言わずに頷いて、へえそんなこともあるのか、よかったねーと聞き手に甘んじるのであれば、友人が語っただけのことしか得られません。しかし、そこで貴方が質問を投げかけてみたらどうでしょう。「なんでそれが楽しいと思うの?」「なんでそれが魅力的だとおもうの?」などなど。それに友人が答えることで話の深みはよりますことでしょう!質問がより細かくなっていけば行くほど、友人は彼の語っていることの魅力を細部にわたって話すでしょう。対話、別の言い方をすればインタビューをすることによって、語られている事は無限の深みを見せるのです! さてこれと同じことが、哲学書相手にもできるのです!! ですが勿論、哲学書と話すのと現実の友人と話すのは勝手が違います。哲学書ならではの長所と短所があります。 まず長所。哲学書は基本的に誠実です。哲学的な問題の解決に対して尽力していた彼らの語る事は真剣です。それが無意識的なレトリックや誤認をもし含んでいたとしても、彼らが問題に対して真剣だったということには変わりないでしょう。つまり、貴方を陥れようとか貴方を騙してやろうというような思惑は全くないと言っても過言ではないでしょう。彼等は必ず貴方の「良き」友人となります。現実には良き友人を見極めるのは随分難しいところがありますが、その点、哲学書はその真剣さにおいて信頼のおける人物を描き出すので安心です! 一方難点は、彼らが貴方のために言葉を変えたり補足をしたりして理解を助けてくれはしないというところです。また、インタビューによって語りは無限に広がるといいましたが、彼らが自発的に答える事はありません。私たちが想定し、想像し、上手く相手の役になりきってやる必要があります。その時、貴方は貴方ではなく彼として問題に答えられなければなりません。そしてもっと難しいことに、彼等は貴方が読み取った彼らの姿が間違っていようと反論をすることがありません。ならば何をしてもいい!と貴方は思うかもしれませんが、それは彼らに対して失礼だとはおもいませんか?貴方も、貴方が真剣に語ったことを都合よく読み取られ自分が望んだこととまったく別の事をされたら憤慨しますよね?それは、今や語らぬものとなった偉大な哲学者達においても同じでしょう。 まずは「問題意識の共有」これらの長所と短所を踏まえつつ、哲学者をエア友達にして楽しい会話を繰り広げるために目指すべきことは何か! それは「問題意識の共有」です。 つまり、彼らが何を問題としているのか、何を理想としているのか、何を目指しているのか…、彼らが語ることを通して私達に示したいものは何かを理解しようと努めることが彼等と友人になるための第一歩なのです! たとえばここに、真剣に素材等々を吟味しながら料理を作ろうとしている人がいます。そこにフラっと現れた私達には、彼らが一体何に悩み何を作ろうとしているのかわかりません。それが分らない状況で、彼の料理手順を横から眺めていてもさっぱりなにが起こっているのかわかりませんし、楽しくないでしょう。しかし、彼がたとえば「もっともおいしいカレー」を作ろうとしているとわかれば、私達は彼の手順が何のために行われているのかを推測することが出来るようになります。さらに、彼が「辛党」であることが分ればどうでしょう。彼がスパイスを並べ吟味している時、横で一緒により辛くするためにはどのような組み合わせにすべきか考えることが出来ます。また、彼がおいしいカレーを作ろうと目指しているのは別の人の作ったカレーがどうにも彼の思うそれとは違っていたように感じたからかもしれません。であれば、その別の人のカレーの何が嫌なのかを知ることで、彼の味覚についての情報を得ることが出来ます。そうすることで、彼がどのような味付けを目指して食材を選んでいるのかが分り、横で一緒に考えることができるようになります。 哲学書で描かれているのは、料理が出来上がるまでの工程です。貴方はシェフであるところの彼の目指しているもの、即ち視点を理解をすることによって、この工程に自分も参加することができるのです!ただ横で見ているよりも、ずっと楽しいだろうことは明らかじゃないでしょうか?そしてこの工程に参加していくということが、何よりも哲学を楽しむポイントなのです! 1.問題意識を呼び起こす(理解フェイズ)重要なのは、問題を共有するのではなく「問題意識」を共有するということ。つまり、問題への関心に対して理解を示すことです。 問題への関心の原因というのは様々ありますが、哲学史的な連関のなかでいうと、ざっくり以下の2パターンに分けることができます。それぞれのタイプにたいしてどのようなアプローチをかけていけばよいでしょうか?私が良く使うとっかかりをご紹介します! ◇批判型 思想的に対立する相手や、批判したい相手が明確なタイプ。 このタイプは批判対象が誰のどのような部分なのかを知りに行くことでかなり話が合うようになります。 例:ニーチェとショーペンハウアー、レヴィナスとハイデガー、ヘーゲルとキルケゴール ・批判対象はどんなやつか まず敵がどのような奴なのかを少し知っておくとよいでしょう。たとえば、レヴィナスはかなりハイデガーのことを意識して批判を行っているので、ハイデガーがどんな言葉遣いと視点からどんな問題を取り扱っているかを全然知らないと何と戦っているのか分りません。なので、批判対象の名前が具体的に出ているのであれば、ウィキであれ倫理の教科書であれ、簡単に相手の概要をさらっておくとよいでしょう。そのひと手間があるだけで、エアボクシングからスパーリングくらいまで戦いのイメージが具体的になるでしょう。本格的に二人の思想家を立たせて試合をさせるのでなければ、相手に対して少しくらい無知でも問題ありません(審判の立場に立つのは第二段階です)。とりあえず、今仲良くなろうとしている哲学者が何を殴っているのかだけ把握できればオッケーです。 ・どうしてそれが気に食わないのか サンドバックが分ったところで、次は具体的にどこが気に食わないのかを突き止めて、何故それが気に食わないのかを考えましょう。思想における批判関係というのは「親殺し」とも言われますが、少なくともその思想はある程度までは一致している家族的な関係にあるのですが、ある部分が気に食わない・間違っていることを子が発見することで批判および親殺しが為されるというわけです。なので、その親殺しがはじまったきっかけとなる部分を探してみましょう。たとえば、ニーチェとショーペンハウアーの場合、ニーチェは基本的にショーペンハウアーの「意志」概念を継承していますが、平和のためにはその意志は絶たれなければならないものだとするショーペンハウアーの立場は批判しています。何故、「意志せぬ」ではダメなのでしょうか?人が己の欲っするままに生きていたら大変な混乱状態になるような気がするのに、何故ニーチェは「意志せよ」と言うのでしょうか?と、このように質問を細かくしていくことが出来ます。どこが似ていて、どこが違うのかを発見し、そこから何故違ってくるのかを読みといていきましょう。そこから先は貴方と彼との対話次第です。 ◇問題提起型 それまでの争いを調停するために新しい根源的な問いを立ててくるタイプ。 このタイプは上記のような批判関係の連鎖をひとまとめにして根底からぶっ潰しに来るので、特定の相手というよりも流行や傾向や共通の誤解というようなものを相手にしています。思想のターニングポイントになるカリスマ共なので、思想の規模がやたら壮大です。 例:アリストテレス、デカルト、カント、ハイデガー ・解決したい混乱はなんなのか このタイプは特定の相手を取るというよりかは、今までの「流れ」を相手取っています。なので、ここで確認すべきはそれ以前の個々の思想というよりかは全体の対立関係や共通の問題が何だったのかということです。それが明らかになると、サンドバックがなんなのか分ってきます。たとえば、カントの場合、デカルト以来続いていた感情VS理性の覇権争いに対して、理性で語りうる範囲は何処までなのかを「純粋理性批判」にて論じることで問題を解決しようとしています。なので、そもそもそれまではどんな問題に対してどの勢力とどの勢力があり、それらがどんな関係にあったかをざっと確認しておくとよいでしょう。勢力内の個人差とかはいっそ無視してもオッケーです。 ・誰に影響を受けているか 根源的な問題を出してくるカリスマとはいえ、彼らにも「親」となる相手がいないわけではありません。ハイデガーならフッサール、ヘーゲルならカントなど、彼らの思想の根底である問題意識を共有している相手は大体いますし、彼等は親の後を継ぎより大きな問題立てや構想を練っている場合が多いです。なので、「親」がだれか突き止めて、彼らが何を問題としてどんなことを語ったのかをざっくり把握しておくのも一つの手でしょう。 ・その混乱は何故起こったのか このタイプの人達は混乱の根源的な原因を探ることからはじめる場合が多いです。彼らが問題としている対立関係が何かが分ったら、それらが一体何をめぐって争っているのかを知りましょう。たとえば、感情VS理性の対立関係は「人間の本性とはなにか」あるいは「道徳判断は何によるか」ということを巡り、感性と理性とが争っています。そして、そのような問いがどうして出てきたのか、何故このように二つの派閥に分かれることになったのか、ということを大体問題提起型の思想家は考えているので、対立を起こしているどちらか一方の立場になって考えるよりかは、争いを俯瞰して争いの起源をたどるような視点を持つようにしましょう。そしてその上で、審判になろうとしている哲学者がどのような立場にたとうとしているのかを考えてみるとよいでしょう。 その他の材料:生涯 彼の思想の起源として生い立ちは参照するに値します。環境や家族関係、巻き込まれた事件などの情報は、彼の思想傾向を掴むヒントになるでしょう。たとえば、ルソーの誇り高い市民が統治する国という理想は、彼が敬愛する父が市民の立場であったことや出身のジュネーブが共和制であったことと少なからず関わりがあるでしょう。彼らが持つ理想は、他の思想の影響だけでなく、現実も少なからず関わっていると思います。また、天才やカリスマな哲学者の人間臭い一面を知ることでなんとなく親近感をもてることもあるので、私的な共感がある場合は意識を共有しやすいかも。だけど、余り生涯や人格を重要視しすぎると、感覚的な共通点がない相手に対して敬意や誠実さ欠いた態度をとってしまうこともあるので頼りすぎには注意。 2.一緒に問題を解決する(質疑応答フェイズ)哲学者が何を言いたいのか分ってきたら、その試みは成功しているのかしていないのかを考えて見ましょう! ここで貴方ははじめて、彼とは違う視点をもつあなた自身として彼と関係を持つことが出来ます。友情関係を結んだ後に、誠実な敵対関係、戦友関係が生まれるのです。 さて、貴方はこれまで彼の立場を共有して物事を考えてきました。なるほど、筋は通っているように思えます。しかし、彼の思想は後の人に批判されたり、あるいは実行に移されたものの上手くいかなかったりしています。それは何故か? そんな批判的立場を取るのが難しい場合に、無理やり自分をたたき起こし問題を穿り出す方法は以下の通りです。 ■解決できている・正しいと感じる場合 その思想を自分の人生に全て適応することが出来るかどうか考えてみます。対立する思想がある場合は、それらの思想も極端に否定し切り捨て、なおかつその思想を受け入れることができるか考えてみるとよいでしょう。さらにその思想の通りに行動ができるかを考えてみるとよいでしょう。貴方が行動に移せないと感じるのであれば、何かに躓き、何かを困難だと思い、何かを受け入れられないで居るはずです。自分が臆病だからというような性格に理由を求めるのはナンセンスです。臆病であるとして、一体「何を」怖がっているのかを自分に問いかけて明確にするとよいでしょう。そうすることで、貴方は対面する哲学者たちにぶつける貴方自身の問い、武器を手に入れることが出来ます。果たしてその問いに相手が有効な答えを出しうるか否かは、貴方と彼との対話に掛かっているでしょう。 ■解決できていない・間違っていると感じる場合 これも基本的にはどうようで、何故間違っていると感じるのかを明確にします。この時重要なのは、貴方の個人的な好み、傾向、環境の影響がどの程度どのように自分の思想に出ているかを明らかにしておくことです。単なる個人的な好みをさも一般論のように語り相手を攻撃するのであれば、貴方は単なるやじうまであって、駄々をこねているだけの子供でしょう。貴方が問題に感じている事は、貴方だから躓いていることなのか、それとも、他の人も同様に躓くだろうことなのかははっきりとさせておくべきです。 哲学を活かすことさて、問題意識の共有から問題提起のざっくりしたポイントを纏めてきたのですが、このように思想を交えることで私達は何を得られるのでしょうか?
世間ではよく「哲学は何の役にも立たない」と言われます。答えの出ない問いをぐるぐる考えても意味がないだなんて、よく言われることです。しかし、哲学に答えがないと言われるのは、まだ完璧な答えが出てきていないということであって、決して答えを出さないというわけではないのです。答えを出し、出した答えを更に吟味し、よりより答えへと導いていこうとしているのです。たとえその答えを出すのがどんなに困難なものであったとしても、自分ひとりの力では到達できないような高みであっても、その高みへいたることを望み、後に失敗と言われるような答えだとしても永遠に投げかけていくのです。よりよいところへ、という向上心はどんな学問やどんな試みでも持っている原動力だと思いますが、(こういってよければ)哲学は何よりも深く何よりも高く自分が死んだ先も永遠に普遍的に妥当するような境地を目指しているのです。最近はそもそもそんな境地ないやとかいう奴らがポコポコでているみたいで私個人としては大変遺憾ですが、高い理想、真理という目標に向かって哲学は邁進しているのです。 大体、貴方は日常生活の中で答えの出ない問いに悩んだり、答えが出ているのに受け入れられないという状況に悩んだりした事はないんですか?一度でもあるとして、貴方はその状態を役に立たない、なければよかった無駄な時間だと思いますか?確かに、貴方は変に悩みすぎたかもしれません。でも悩みすぎたのにはきっと理由があったはずです。その理由を、そこで悩んでいた自分を貴方は笑うんですか?過去の自分をひたすらあざ笑っていくんですか?そうしてあざ笑っている自分はすぐ先の自分にまたあざ笑われるのです。貴方が昔の自分を取りあげて愚かで馬鹿で無知だとあざ笑い続けるのであれば、あなたの人生は笑うべきまったく愚かなものになるでしょう、貴方みずからそうなるようにしたんです。さあそれでも、答えの出ないところに問いを投げかけるのは愚かなことだと笑いますか? 哲学も同じです。哲学は完璧な答えは出せません。「真理」の前にはどのような答えも非真理なのです。しかし、真理を望み、真理により近づこうという意志があればこそ、哲学は先に進んでいけると私は思いますね。 哲学の問いの例として挙げられるものの中に「私とは何か」というものがあげられます。自己とか自由とかが問題となっている近代では、哲学におけるこの問いは、私達の実態と思想とを結びつける手がかりになるでしょう。貴方はあなたがどのようなものか考えます。しかし、あなただけでは持ち得ない問題や、見えない視点というものが必ずあるでしょう。あなたが前を向いているとき、あなたは後ろを見ることが出来ないのと同じように。その時、新しい目として、貴方の背後を見てくれる信頼できる友人として、哲学や思想は役に立つことでしょう。思想によって多くの人と出会い、色んなものを分かち合うことで、貴方の世界はぐんとひろがっていくことでしょう。そして大事な事は、あなた自身が答えを出すということです。世界を広げることに夢中で、現実の自分は変わらずしょっぺー人生を送ってそれで満足しているようじゃあダメです。哲学はあなたが現実から離れてよい夢を見るためのものじゃありません。あなた自身の視点を遠く広く持つことを助けてくれるものなのです。少なくとも私はそう信じていますし、だからこそ他人の思想に触れるというのは面白いのです! そんなこんなで、 貴方の閉塞的な価値観や思想をぶっ壊すハイパーに刺激的な学問、哲学!! 貴方の抱える問題に向き合う新しい視点を!!無限に広がる思想の世界をお楽しみあれ!! アデュー!!
0 Comments
Your comment will be posted after it is approved.
Leave a Reply. |
About裃挫憂(じょうげさゆう)が運営する哲学者美化創作メモブログサイト Archives
September 2015
Categories |