キルケゴールの思想解釈漫画を書こうと思って書き留めていたプロットなんですが、読み返すと解釈ずれてて没になりそうだったので供養。と言うわけでコレは思想とは結構違ってますよということは念頭においてライトに読んでくれれば。 大体こういうのを書き出してから、ネーム切って台詞を調整して~って感じで漫画ができてます。メイキング的補足。 こういうアフォリズムみたいなの書くのが大好きです。 自己とは宝石のようなものだ
しかし貧困は君を誘惑する。「その宝石を売りたまえ、売れば君の飢えは消えるだろう。」 苦悩が君を誘惑する。「その宝石を売りたまえ、売れば君の苦しみは消えるだろう。」 悩まず、苦しまず、飢えず、滅びず、――売りさえすれば君はそんな幸福を手に入れることが出来る。 一瞬の幸福は得られる、しかし、売り払った自己は戻ってはこないのだ。 君の罪は消えない、たとえ人が許し社会が許し君が忘れたとしても、永遠が覚えている。君の履歴から罪が消えることはない。君が売り払った自己はかけたままだ。 神が求めるのはこの宝石だ。 無償の愛ほど重い負債はない。君がただ無償を喜び歓喜し受け取り何も思い悩まないとすれば、君は確かに愛されてはいるが愛してはいないのである。 無償ほど重い負債はない。無償は支払いを拒否する。全てを払い終えて契約を断ち切ることを許さない。契約なき契約は何者にも打ち切られることはない。 神は永遠の愛を与えたまう。そして永遠によって愛されることを欲したまう。君の永遠なものだけを欲したまう。 君がどれだけの時間神を思っていたか、その量はまったく関係がない。永遠は累計であるが、量的な連続ではなく質的な跳躍なのである。君が神の意志に沿おうと欲したかどうかが問われているのだ。 君が神を忘れた時間があることを、永遠は知っている。君が永遠を知らず一瞬に費やしたことがあるのを永遠は知っている。永遠は君を知っている、君の知っている通りに君を知っている。そして、君が一体この世においてどれだけの利益、名誉、財産、幸福を得ようと、君が絶望したままなら、君の宝石がかけてなくなったままなら、もはや一切が失われているのである。 唯一の救済は神に全てを投げ入れることだ。神には一切が可能であるということだけが救済なのだ。君は君の宝石を神の泉に投げ入れなければならない。そうして、砕けた宝石が元に戻るということを信じ祈ることだ。 泉は何も語らない。汝信ずべしと沈黙を讃える。これが大きな躓きなのだ。宝石は君がこの世で一瞬を買うための大切な財産だ。それを全て投げ入れるとは君はこの世の苦しみから逃れるための全てを失うということだ。しかし、君が十分の一でも百分の一でもそれを持ち続ける限りは宝石はなおも砕けたままであり、絶望したままだ。 君は絶望しているか。君の砕けた宝石に何を思うのか。君は何に絶望している?君の貧困か?この世の理不尽か?沈黙せる神か?それとも自分自身に?宝石を砕いたのは誰だ? この宝石は贅沢品だ。この世的にはまったく役に立たない。宝石を持っているだけでは意味がない。飾り、見せびらかし、売り払わうことでこの世的な価値を得る。君は永遠を元手に一瞬を得る。しかし、宝石はやがて底をつく。 君が欲しいのは永遠が一瞬か。 君が永遠を取り戻したいと願うなら、罪を消し去りたいと願うならば、そう神に祈るのであれば、君よ、一瞬を全て捧げたまえ。神の愛を、全智の力を受け取るのであれば、君よ一切を捧げたまえ。神を愛したまえ、その苦悩によって。 あれかこれかを選びたまえ。犠牲を払い躓きを超えよ。あれもこれもの偽善や饒舌は、神の前には通用しない。 さあ、答えよ。
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September 2015
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