レディースエンジェントルメン!マジョリティエンマイノリティ! こんにちは!今日も元気に自己喪失してしょっぱい人生送ってますか!!! 私は気合入れて出かけた就活イベントに携帯の充電が切れたことによってたどり着けずに敗戦を帰すというダメっぷりを隠すために、己のダメっぷりにとことん向き合い全人類を盛大な自虐に巻き込んだ偉大なるボッチ達の紹介でもしようと思います。 ご紹介するのは実存主義の始祖と呼ばれるこの二人!ニーチェとキルケゴールです!イエーイ! (画像無駄にでけえ) 皆と同じが理由もなく嫌いで集団に埋没している人間をディスることでしかパーソナリティを確保できないボッチ初級のクズ人間にも、集団の中に上手いこと溶けこんでミンナイッショの呪文で気持ちよくなりながら自分には他の人とは違うなんか自己てきなそういうもんがあるような妄想に浸っている大衆の皆さんにも等しくオススメな実存主義!! 貴方のつまんない人生に一石どころかテポドンを打ち込むくらいのエッセンスになること間違いなし! ボッチを極めたい。でもなんか上手い言い訳が思いつかない。そんな君も偉大なるボッチ達と一緒にトップオブボッチを目指そう! 力への意志で突き進む究極のボッチ!フリードリヒ・ニーチェ!!画像はどんどん使いまわしていこう!時代はリサイクルだ! というわけで始めに紹介するのはこの人! ボッチ極めすぎて発狂した世紀のロックンローラー、フリードリヒ・ニーチェさん! WW2直前くらいに死んだのでヤバい戦火は微妙に回避できましたよかったね!! 最近ニーチェの言葉とか言うなんかいいことたくさん書いてある風の本がでて名前だけやたらめったらバカ売れしている哲学界の巨匠ことニーチェ先生ですが、彼は言うなればボッチの中のボッチ。 あらゆる痛みを乗り越えてでもトップオブボッチを目指したボッチガチ勢です。 ボッチに「例外者」という格好いい呼び名をつけて卑屈なボッチに自信をくれたのもこの人(だったはず)。ありがとうニーチェ大先生!! いいとこの牧師の家に生まれながらも信仰を放棄するロック魂を学生時代から見せ付けていたニーチェさんですが、最強のペシミストであるショーペンハウアーを読んで感化されたり、音楽界の革命家(予定)のヴァーグナーと出会うことによってどんどんトップオブボッチを目指すことになっていきます。 しかし、ボッチによる芸術の力で世界に革命を起こす予定だったヴァーグナーさんは有名になるにつれ、ボッチ宿敵であり抹殺対象であるマジョリティの誘惑の前に陥落!偉い人にちやほやされて鼻の下を伸ばしているではありませんか!!ヴァーグナーこそがトップオブボッチであると信じてやまなかったニーチェ少年はその有様に失望し、その時の怒りのパワーで書き上げたのが「人間的、あまりに人間的」。 ヴァーグナーをディスり、さらにヴァーグナーのことが好きだった自分をディスり、自分が当たり前に正しいと思っていることをあえてブチ殺すことで、人間の醜い部分を徹底的に晒しあげにしようとしました。ヤバいです。 これがどれだけヤバいことかというと、自分がコイツだけは許せないマジで死んでもいいと思っている人(あるいは生物とかでもいいです。心優しい人はなんか嫌いで仕方がない害虫害獣でも想像してください)が実はとんでもなく高貴で清く正しく美しい世界の頂点に君臨するほどのアレで、逆にその人を憎んでやまない自分が最も愚かで浅ましいクソ中のクソであるということを、気の迷いや一時の反省やなんかという生ぬるいもんじゃなく本当に全力で考えるみたいな感じだと思います。発狂しちゃうよね。ニーチェは発狂しました。 とにかく、ニーチェはボッチオブボッチであるために、集団の犯しているような過ちが自分のボッチ道の中にも隠れていないか全力でほじくりかえしていきました。自殺するのかという勢いで自分を解剖しながら世の中のキモいところを暴きまくったこの手法を、曝露的……なんとかかんとかと言うらしいですけどそういう固いことはグーグル先生に聞いてください。 で、そんな狂気的な方法を経て、唱えられたのがニヒリズムとかルサンチマンとかです。その本が初だかちょっと良く知らないです。 まあ曰く、正義を貫くやつがすごいとか、節制して禁欲的に生きるほうがすごいとか、勉強している人のほうがすごいとか、神に対して誠実に信仰しているほうがすごいとか、そういうことを言うのはそいつが負け組だからだそうです。 負け組が正攻法じゃ相手に勝てないからそうやって倫理だの宗教だのを持ち出して「実は自分達の方がこんなにすごいんですよ~」と気取っているだけです。神とかもう最悪です。戦争やって勝てない負け組であることを認められなくて、試合に負けて勝負に勝ったみたいな状態を無理やり作り出そうとする奴隷精神の表れです。負け組が神様に醜く縋って大丈夫自分達は神に対して誠実であるからあいつらとは違うと傷をなめあってるとかマジでキモい。 そんなもんにしがみついてんじゃねえ!!神は死んだ!!もういないっつかはじめからいねえ!!目を覚ませ豚共!!!負けは負けだ認めとけ!!!! とか大体そんな感じのはずです。紹介するとか言って私まだニーチェちゃんと読めてないのでここではさらっとした説明にとどめますが、興味ある人は彼の著作を読んでみてください。人間的~はニーチェ先生のツイッターNEVERまとめみたいな感じなので、長文は難しそうでとっつきにくい、ニーチェ先生のロック魂を心で感じたいという人にはオススメかと思います。 そんな勢いで全てをぶっ壊したニーチェさん。あれもダメこれもダメ。じゃあ何ならいいんだよ!!とブチギレるボッチ入門者の方もいるとおもいますが、それに対するニーチェ先生の回答はこうです。 「いいものなんて何もねえ!!!」 とにかく善悪とか良し悪しとか決める物差しは大体人の妬みによって出来ていたりするんです。だったらそんなもんで測って得た正しさや価値を信じたり、自分は正しいとおもいこみ続けてたりするのはカッチョ悪いです。ロックじゃないです。 マジョリティへの完全勝利の安寧なんてものを目指してボッチをやっているのはダメなんです。 生きるために自分を殺そうとしてくる敵をぶっ潰す。相手に勝って、自分の生命を勝ち取っていくその生きるという強い意志の中にこそボッチたちが欲してやまない「自己」は存在するのです。 だから戦え。永遠の闘争に身を投じるのだ!!戦っている間は確かに俺自身ここにある!!負けを認めず妬みの中に安住するものも、かりそめの勝利によってバカ騒ぎするものも等しく自己を喪失している!!ロックじゃない!!俺は確固たる自己をもつもの、ボッチの中のボッチを目指して戦いを続けるぜーーーーーーーーーーー!! なんかそんな勢いだった気がします。もう超ロックですね。ニーチェ先生は文体もロックで割りと半分くらい何言ってるのか分からないけどすごい格好いいことを言っているような気がしてくるので天性のロックンローラーなんだと思います。音楽もやってたしね。 ただ、そんなロックで超カッコイイカリスマボッチのニーチェ先生ですが、その実生活はというと、初めて出した本は叩かれ、大学内でハブられ、出した本はなかなか売れず、これは神曲とおもって作曲したやつはこっぴどく叩かれ、ヴァーグナーをディスったので友達が減りまさにボッチになっていく……、という死後の評価された今でこそカリスマのスペクタクル人生と言えないこともないですけど、割としょっぱい感じでした。 自分の優秀な生徒で好きになったザロメちゃんにはこっぴどくフられて超落ち込んで自殺も考えるし、結婚できない友達いないで寂しいボッチ心を癒すために「自由精神」という架空の嫁を考えてみたりするし。あげく色々あって発狂しつつ、ヴァーグナーに未練たらたらだったり……。 トップオブボッチを極める道がいかに過酷であるか、そしてそれを目指した人がどのような末路を迎えたのか、その人生をもって僕たちに教えてくれるニーチェ先生はその点でも偉大な人だと思います。 神様がいるから大丈夫!宗教で自分を救うボッチ、キルケゴール!さて、お次もこれまた強烈なボッチであるセーレン・キルケゴール!! 「死に至る病は絶望である」というフレーズはなんか倫理の授業でそれとなく聞いたことがあるかもしれない皆大好き絶望先生にして、 神の名の元に己の罪を購い罪を知らぬ愚か者や罪の中に留まる悪魔を断罪する最強の宗教家です。 ヘーゲルさんの「みんなで信じられる真理、一緒に目指そ♪」というその時期激流行りだった弁証法にケンカを売り、逆に弁証法が有名になるのに一役買ったり、憂愁孤独の哲学者とかボッチを極めすぎてそんな格好いい二つ名ついたりしました。 どうでもいいけど、この人に影響を受けたサルトルとかいう人が「ボッチ乙」とレヴィ=ストロースにディスられたりしてます。 キルケゴールは「自分にとって信じられるものが一番大切なんですよッ!!!」とヘーゲルにケンカを売るだけあって、基本的に自分のことをとことん反省することによって思想を突き詰めていった、悪い言い方をすれば自分のことにしか興味のないタイプの人です。だから日記とかすごい資料として読解されたりするんですねー読みたい。 そういうわけなので彼の思想は彼の人生に強く由来していますし、そして己の思想を体現した人生を送って死にました。徹底したボッチ精神です。さすが始祖!! ちなみに彼はデンマークがちょうど不況とかでドン底にいた時代に生まれ、デンマークが盛り返すころにちょうど死にました。辛い。ニーチェよりも早生まれだったんですが、キルケゴールが死ぬのとニーチェが発狂するのがほぼ同じ頃だったので似たようなボッチ思想をもっているのに彼らの思想が触れ合う事はほとんどありませんでした……残念!! そんなキルケゴールさんの人生を軽くご紹介しましょう。 熱心なキリスト教信者であった父の元に生まれたキルケゴール少年。もちろん彼も熱心なキリスト教徒となったのですが、なんとこの父さんはキリスト者でありながらかつて不況の頃に神を呪いさらにはメイドをファックしてしまった大罪人だったのです! そのような自分は罰を受けるべきであり、罪人の血を引いているキルケゴールくんにも同じように罰が下るだろうと言われたキルケゴール少年。そんなことは妄言だとポイしてしまえばいいことですが、彼は熱心なキリスト者であり、また罰が本当であるかのように彼の上の兄弟はキリストが磔にされた34歳までに死んでしまっていたのです。しかも家系的に根暗で欝だったことも手伝って、キルケゴールの人生はこの罪といかにして向き合っていくかにほぼ費やされることになります。 そんなこんなで、自分は神に罰せられるべきクズ人間であるという感覚と、体が弱かったり見た目的に他の子と違うことからくるボッ…例外者意識の中で、キルケゴールはボッチの道をひた走っていきます。 しかし、神の罰によって死ぬだろうと思っていたリミットである34歳の誕生日を、彼は何事もなく無事に迎えてしまいました。ありえない。だって自分は神によって罰せられるべき存在なのに!!どうして!?あまりにビックリして自分の誕生日が今日で間違いないか確認しにいったとかいないとか。 そして、彼は気付くのです。神は自分を罰しようとしているのではないと。神は自分を救おうとしていてくださったのに、自分が「私は罪人であるから」といってその救済を拒絶していたのだと!!自分がどうしようもなく悪いことしかできないクズ人間であるように、神もどうしようもなく人に優しくしか出来ない愛に満ちた存在なのであると!!!!ああ神の愛のなんと深いことか!!神様!!あなたはいつも私のことを思ってくれていたんですね!!ああ!!私はボッチではなかった!!世界に、神に拒絶されていたわけではなかった!!ボッチを自ら選び、神の存在を見失っていたのだ!!アーメン!!!! こういう勢いでかかれたのが「死に至る病」です。マジで大体このテンションでかかれてます。 一般には「死に至る病は絶望」というあの有名なフレーズとともに語られる「病」パートのほうに焦点がおかれがちなように思いますが、彼の言いたい事はその対として語られる「病への薬とは信仰である」という「薬」パートにつまってます。薬パートは、言うなればキリスト教がいかにすばらしく、いかに絶望を癒すほどの効力をもっているか、そして神がいかに愛に満ち溢れているかということが、それを信じないあるいは信じながらに宗教を腐らせているクズどもへの怒りとともに語られているのでマジでテンションがヤバいです。 で、その思想の中身はというと、ざっくり言ってしまえば「人間はみな罪人である!!そして罪人はつべこべいわずに罪を認めて神のもとに跪け!!」というようなことです。 彼の語る絶望とは大雑把に言うと自己を喪失している状態です。大衆や世間と呼ばれるような、ボッチたちが憎みそこから脱出しようとしているものは、そういった無意識のうちに絶望した=自己を喪失しているクソ野郎共によって回っているそうです。 しかし、その集団のクソっぷりに絶望したボッチの中にも、彼を「絶望」させた原因が解決されれば何事もなかったかのように心地のいい自己喪失へと戻っていくゴミもいるのでダメ。この絶望の蔓延した世界を革命するとかいって立ち上がった自称聡明なボッチもチヤホヤされればもうそれで最高に幸せでもうそこで本当に満足しちゃって本当にキモいし、そんなやつが革命家であるとか認めたくないとかかかれてます。 なんかヴァーなんとかって人を思い出しますよね!! そういう勢いで、絶望しているあらゆるクズ人間の生態を曝露しながら、それがどれほど愚かで笑っちゃうほどクソであるかをポエムやたとえ話やあらゆる文学表現によって書き出します。シェイクスピア好きっぽいし、多分そういうのの影響もあるんだと思います。 じゃあそういうやつらが絶望から脱出するにはどうしたらいいか? それはただひとつ、神を信じることです。 前述のとおり、神は私達に常に救済の手を差し伸べているのです。それを「私は罪人なので」と言って跳ね除け許されることを拒絶したり、「いいや私に罪はない!だから救済などひつようない!」と意固地になったり、それは全て神への反逆、まさにそれこそが罪なのです。ちなみに、神の存在を意識したり罪の意識のない人達はもはや罪人と呼ぶにも値しない最高にゴミクズゲロうんこだそうです。 「でも神が本当に許してくれるかわからない」??神の意思が人間程度の概念で理解できるわけないだろう黙れクズ!! 「おれだってやりたくて罪を犯しているわけじゃない!そうせざるを得ないんだ!」???罪はお前が能動的に犯すものだし、罪に留まっているということがまさに罪にほかならないんだよクズ!!悔い改めろ!! 神の前たって、自分に罪がないか反省しろ。その無限の反省の先に、神の救済があると信じろ。つべこべ言わずにとにかく信じろ。それがキリスト教の正しいあり方であるし、そのようなキリスト教は最強だ!!!!! とまあそんな感じです。死に至る病に限らず、彼の本は基本的にキリスト教布教本なのでとにかく宗教的でテンションがヤバい。 そんでもって、最終的に「今のキリスト教は腐ってる、神への冒涜だ!」という感じでキリスト教会へ戦いを挑みその戦いの中で死ぬというヤバさです。ヤバい。 ながながと説明しましたが、彼の真髄である宗教魂を無視して彼の思想と人生をおおざっぱに言うと、ボッチを極めすぎて神という架空の恋人を作り出しちゃった感じです。そしてその恋人の素晴らしさと愛の深さに感動しながら恋人の尊厳を傷つける全てのものを排除するという過激さ。神様好き!!愛してる!!だから貴方を害するものはすべて滅ぼす!!って感じです、どうです、萌えてきましたか? 恋人というたとえが割と誇張でないくらいには、「信仰者とは恋するものとにている」とか言ったりするので神様にかけるキルケゴールの愛…じゃなくて信仰はすさまじいものですよ。ええ。萌えますね? ボッチを極めたい、でもボッチは寂しい。そんな心を癒してくれる架空の恋人・神様の前に自分がたっていると思うことでボッチの寂しさを乗り越えながらトップオブボッチを目指そう! もう何も信じられないと孤独の中で死んでいる貴方にオススメなこの一冊!!その孤独がいかに浅く本質を捉えていないかや、自分の罪がいかに重く最低最悪クソ野郎であるかをありありと書き出され、強制的に反省と懺悔をさせられるような思いにかられること間違いなし!!そしてそんだけコキおろした後に救済方法として提示される神様はもう最高魅力的に見えてきます!詐欺的な宗教ってありますけど、あれの勧誘方法とわりと近いので気をつけないといつの間にかキリスト教に入信しちゃうから気をつけて!!私?もう半分脚を突っ込みました。 似たものボッチ、ニーチェとキルケゴール長くなって疲れてきた。
まあそんなこんなで、ボッチを極めるために全力でマジョリティをこき下ろし、ついでにボッチカジュアル勢もこき下ろしまくったニーチェとキルケゴール。 これまでの紹介でなんとなく察せられるかもしれないんですが、クズ人間の生態を曝露してそこからトップオブボッチのあり方を追求するという手法がちょっと似ているんですね。 しかし、ニーチェが神は死んだ!!と叫んでいる一方で、キルケゴールは神の前にひざまずけ神さま大好きとニーチェがこき下ろした宗教を信奉しているわけです。萌えますね!! ただ、宗教家であるキルケゴールはニーチェが曝露したような宗教のあり方を全く知らなかったわけではなくて、むしろそんな宗教の腐った有様をしっかり理解したうえでおれのかんがえる最強の宗教にキリスト教界を改革しようとしていた人なので、一概に対立しているとは言えないです。 それから、キルケゴールはヴァーグなんとかみたいな人の様子をこと細かに書き出している一方で、ニーチェさんのように神はいないだから俺は俺として生きていくんだよおお!!と全てをぶっ壊しに走るような凶暴な人間のこともこと細かに分析し描写しちゃってるんですね。 絶望の最高ランク「悪魔的な絶望者」として描かれるそれは、割とニーチェのロックなあり方に凄い近いものがあると思いますし、何が面白いかと言うと、そのようなあり方がいかに罪で哀れで神に対する反逆であるか言葉を尽くして凄い勢いでこきおろされてるんですね。というのも、キルケゴール自身がかつてそういう悪魔的な絶望を抱えていたからだと思うのですが、まあまあ、それも含めてなんだかわくわくもえもえしてきますね!! さて、そんなボッチ道である実存主義を開拓した二人。 その偉大なる業績と過激で苛烈な思想をバカにしながらざっくりたとえると、 ニーチェは売れないロックンローラー、 キルケゴールは二次元に本気で恋した同人作家みたいな感じです。 おっと、なんだか突然親近感が沸いてきましたね!?!! 哲学家の思想と聞いてかたくるしそう~敬遠しがちな人も、そんな風に思えば親しみを持って近づけば意味不明に聞こえる彼らの魂の叫びの意味がより分かってきちゃうかも!? 俺は最高に凄いパーソナリティを持ってやまないと信じる猛者は、一度彼らのマシンガン罵倒に身を晒して生き残れるほどの確固たる自己を持っているかどうか腕試ししてみるとさらにボッチレベルを上げることができますよ!!なお、そこで蜂の巣にされて死んでも責任はとりません!! もう疲れてきたのでこの辺で!!ボッチに幸あれ!!!!アーメン!!
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September 2015
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